生命の合成 II

Last updated on Saturday 19th April 2003


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仲田 2003.03.24 Mon 17:31:11

問題のスレッドの続きです。
「生物の合成」で予告したまま書けないままでいた主張があるので、
ここらで書き込んでおこうと思います。

2002年12月16日に予告したものですが、
まず最初に論点をもう一度整理しておきます。
この予告をした背景は、仲田による2002.12.12.の書き込みまで遡ります。
ここで、Venterらによる「生物の合成」のどこに問題があり得るのかを
議論しようとしました。
Venterらは、ブラックボックスのない最小ゲノムを持った
実験生物を作成することを目標にしているようで、
その第一段階として巨大な染色体の人工合成に向けた研究を開始しています。
仲田としては、将来的に人工合成された生物が、
(例えば現在の大腸菌のように)
モデル生物として市場に出る可能性を考えました。
書き込んだ時点では明記しなかったかもしれませんが、
この技術の延長線上に容易には想像できない応用技術もあるでしょうし、
合成生物を利用した遺伝子組み換え食品や、
合成生物自体を食品とするようなこともあるかもしれません。
どの応用段階かはともかく、合成生物の利用に対しては
「一般市民」の感情的反発が予想され、
技術の応用に際して大きな障害となる可能性を指摘しました。
この際、「一般市民」の感情的反発の可能性を論証するため、
文学作品などで「人工生物」が否定的に描かれた例を紹介しました。

これに対して、okさんは、
仲田が紹介した「人工生物」が
すべて「動物様」のものに
限られているという問題点を指摘されました(2002.12.13)。
正確な表現は前スレッドを参照していただきたいのですが、
要するに「一般市民」のイメージする「生命」は
人間に近い動物様のものに限られ、
それ故、微生物など動物様でない生物の人工合成に関しては
扱った文学作品もなければ、感情的反発を招かないことが予測できる。
問題が生じるのは「動物様の生命」を合成するようなケースに
なってからではないか、というご指摘でした。

このokさんのご指摘については、補足をする必要を感じたため、
その予告(2002.12.16)をして、
後に予備的な意見を書きました(2002.12.31)。
後者を引用しておきましょう。

「仲田としては、「市民」にとっては「動物様」の人造生物のみが
問題になりやすいことは承知しているつもりです。
しかし、科学者(特に生物学者)には、
「動物様」生物とそれ以外の生物の違いを
大きな違いと認めない人が多くいます。
この捉え方のギャップが孕む意義とリスクを正しく理解できれば、
例え「市民」の関心が「動物様」人造生命のみに行っていても、
科学者間では人造細菌すら問題にしなければならない
(と仲田が思っている)『論拠』が理解してもらえると思います」

本質的な問題点は「予備的意見」書いたつもりですが、
飛躍の無いように説明しなおします。

まず、「「市民」にとっては「動物様」の
人造生物のみが問題になりやすい」ことはokさんの意見に同意いたします。
よって、「微生物など動物様でない生物の人工合成」も、
それ自体では反発は少ないという見方にも同意します。

それならば何故、今の時点で「市民」の感情にまで配慮した議論を
しなければならないのか(そう考えるのが仲田の主張)、
この点は説明を要するところでしょう。

「市民」は通常、「動物様生物」と「非動物様生物」の間に
決定的な違いを見出します。ところが、科学者の多くは
この間の違いは主観的なものであり、
「動物様生物」と「非動物様生物」の間は、
中間的な生物によって連続的につながっていると考えます。
その結果、科学者は「市民」を「いいくるめる」ことができるようになります。

1.「人工細菌」の合成に対しては、「市民」の間から倫理的な問題が指摘されなかった。
2.「人工細菌」と「人工動物」の間には絶対的な違いはなく、「客観的」に倫理的な問題の生じる境界線を引くことは出来ない。
3.よって、「客観的」に考える限り、「人工動物」の作成についても倫理的な問題は生じない。

実際に起こりうる現象は、「倫理的な問題の生じる境界線」が
「客観的」には定義しがたいことに乗じて、
「動物様生物」と「非動物様生物」の中間型を次々と合成し、
問題が指摘されるころには実用化が目前に迫り、
止めようがなくなっている、といったところでしょう。

この論法、方法に関しては無論問題点が多々指摘できます。
しかしながら、現場において論駁することは困難でしょう。
特に、どの段階で倫理的な問題を指摘するかは個人差がありましょうし、
それに乗じれば最も倫理を軽視する立場の倫理的な限界まで技術を
進ませることができるようになります。

仲田としては、技術の倫理的制約が「最も倫理を軽視する」人間によって
規定されるのは、間違っているといわざるを得ません。
そこで、技術が「境界域」に達する前(達し始めたとき)に、
どこに何故、境界線を引くのかを議論していくべきであると主張します。

また、このような境界線は机上で議論するだけでは実効性を持ちません。
技術の発展には加速度があり、また、慣性力もあります。
いざ技術が倫理に抵触しそうになっても「急には止まれない」のです。
将来発展する技術が、勢いのみで倫理を侵すことのないように、
技術発展の初歩のうちから倫理的問題・感情的衝突が起こりうることを
念頭に置き、節度をもった技術開発を行う雰囲気を
作っておく必要があるでしょう。その「雰囲気作り」のためにこそ、
「人工細菌」の合成に関して出すら、
科学者・市民を含めて倫理的な議論をする必要を考えました。

次に、予告した2点目についても議論しておきましょう。
これに関してはokさんのご指摘(2002.12.15)の引用から始めます。

「仲田君が「生命倫理」として挙げたクローンと遺伝子組み換えですが、
共に安全性が重要な問題として議論されており、
クローンでは「生命倫理」である「クローン人間は誰の子か?」
「人権は保護されるのか?」といったような人間存在あるいは
知的な存在に関わる問題が摺り合わせられました」

ここには完全に事実誤認(歪曲?)が認められます。
クローンと遺伝子組み換えの問題は、いずれも科学者・技術者が
「論証可能な」問題にのみ絞って議論した結果、
大きな反発が起きた事例です。クローンの問題は
「「クローン人間は誰の子か?」「人権は保護されるのか?」と
いったような人間存在あるいは知的な存在に関わる問題」が
確かに議論はされました。

しかし、これは「客観的」に議論を出来る範囲をほとんど超えています。
「人間存在あるいは知的な存在に関わる問題」を「主観」によらずして
議論することは、問題を空洞化し、
導かれた結論から説得力を削ぎとっていきます。

結果、ラエリアン・ムーヴメントの暴挙(これは真偽に疑問はあります)や
アンティノリ医師らの暴走(結果はどうなったんでしょうね)を
止められませんでした。今でも、クローン人間が誕生する懸念は残っています。
クローン人間の作成に関しては、まさに
「感情的」側面が動機になっている以上、
それに反する「感情的」的意見も「科学的」意見と共にもっと
議論されてしかるべきでした。それが十分事前になされなかった結果、
事後に多くの感情的反発が浮き出てきたのです。

遺伝子組み換え技術に関してはもう少し問題が複雑です。
客観的に考察することに慣れた科学技術者集団は、
遺伝子組み換え食品について安全性以外の問題を十分に議論する必要性に
おそらくは気づかなかったのでしょう。しかしながら、
実際に出てきた反発は「DNAを食べるのは何か怖い」といった
「科学的」には間違ってすらいる不信感でした。もしかしたら、
「実際に出てきた」という記述には問題があるかもしれません。
なぜなら、「客観性」の信奉者はこれらの意見を「誤解」として
無視する傾向すらありますから。

しかし、この「誤解」が遺伝子組み換え食品の商業展開に際して
大きな障害となったことも事実です。
通常は、この「誤解」の原因として「科学者」側の説明責任が
不十分だったとして説明されます。
一方で、仲田は科学者側が「市民」の「感情的」抵抗に対して
無頓着だった点も指摘されてしかるべきと考えます。
それ故に「科学者」は説明責任を果たす必要性を実感できなかったのではないかと。

この点を見落すことは、研究者・科学者として以前に、
社会人として問題があるでしょう。


RTK 2003.03.25 Tue 00:02:49

「分子生物学の理論と応用への感覚的な反発」が焦点となっていますが、
科学的な観点から、ある応用が生物学的に問題があるかどうか
の議論こそが重要であると考えます。

端的な例が遺伝子組み換え作物についてです。
害虫によって食べられない形質を付与したり、
農薬耐性を付与した作物が実際に栽培されると、
生態学的には以下のような考察を導くことができると思います。

まず害虫に対する耐性を持たせると、
一時的なコスト削減は実現されることが予想されます。
しかし単一の作物を大面積において栽培する以上、
その作物を食べることのできる昆虫が出現する可能性は否定できません。
過去に大規模な殺虫剤散布が何度も行われたにも関わらず、
いまだに害虫の完全な駆除に成功した例は薬を用いた場合ありません
(別の方法ではフロリダでの成功例があります)。
一度その害虫が現われてしまえば、その害虫以外は
耐性をもつ作物を食べることができないので、新種の害虫の繁栄が
予想できます。すると再び新しい耐性を遺伝子組み換えで…、
という連鎖が再び始まります。

他方、農薬耐性を付与しても以下のような状況に陥ることが想定できます。
風媒花は花粉を遠距離まで飛ばすことができ、
また近い種の同士の植物では交配が起りえます。
つまり、遺伝子組み換えされて欲しくない他の雑草も
農薬耐性を持ってしまうことが考えられます。

短期的には収穫高を増やすことができるかもしれませんが、
長期的には農業そのものの衰退を招きかねないことが、
「沈黙の春」で描かれた20世紀アメリカからのアナロジーで導かれます。

商品としての知識・技術を社会還元するのであれば
科学者に説明責任を押し付けることも必要かもしれません。
ただ、rugasさんのいう人類の幸せの総和拡大を実現するには
感覚的な批判よりも、技術としては何が欠点となりうるのか、
また何が有益なのかを提示することがまず必要だと思います。
個人的には理論にまで口をはさまないで頂ければ十分です。


ok 2003.03.25 Tue 14:56:49

重複していますが、とりあえず何点か。

1.
>クローン人間の作成に関しては、まさに「感情的」側面が動機になって
>いる以上、それに反する「感情的」的意見も「科学的」意見と共にもっと
>議論されてしかるべきでした。それが十分事前になされなかった結果、
>事後に多くの感情的反発が浮き出てきたのです。

議論すると感情的反発は無くなるのでしょうか?
(少なくとも女性がたくさんいるサークルに属していた僕の経験から言えば、
議論しても納得できないものはできない、
と主張するケースがたくさんありました。
もっと小手先の「言い方」とか「周知期間」とかの問題なのです。)
クローン人間に対する「感情的」意見とは何でしょう?
それをどのように「議論」するのでしょう?

2.
『「論証可能な」問題』と「具体的な問題」は異なります。

3.
>技術が「境界域」に達する前(達し始めたとき)に、どこに何故、
>境界線を引くのかを議論していくべきであると主張します。
>また、このような境界線は机上で議論するだけでは実効性を持ちません。
>技術の発展には加速度があり、また、慣性力もあります。いざ技術が倫理
>に抵触しそうになっても「急には止まれない」のです。将来発展する
>技術が、勢いのみで倫理を侵すことのないように、技術発展の初歩の
>うちから倫理的問題・感情的衝突が起こりうることを念頭に置き、
>節度をもった技術開発を行う雰囲気を作っておく必要があるでしょう。

倫理の境界線を守ることで得られる効能を教えてください。
なぜ「止める」必要があるのでしょう?
また、倫理の境界線が引かれる位置に絶対的な理由が存在するとは思えません。
「議論」しても倫理の境界線が感情的に納得できる形で引くことが出来るとは思えません。

4.
前半の議論はかなり変で、問題点だらけだと思います。
まず、科学者に「いいくるめられる」なら良いんじゃないですか?
感情的反発を無くしたいという観点で考えるなら。何か他の理由があるのですか?

5.
どうしてそんなに規制したいのですか?


仲田 2003.03.25 Tue 15:35:59

まず、RTKさんのご意見に対してですが、
「科学的な観点から、ある応用が生物学的に問題があるかどうかの議論」も、
当然必要でしょう。その点は異論はありません。

また、「商品としての知識・技術を社会還元するのであれば
科学者に説明責任を押し付けることも必要かもしれません」とありますが、
「押し付ける」という表現は不適切かと思います。
商品としてかどうかはともかく、実際に科学者の多くは
研究の社会還元を要求されていますし、
その技術の説明には科学者が携わらざるを得ないでしょう。
無論、個々人の科学者について言えば、実用から程遠い研究を
している場合やマスコミにも知識が浸透している場合など、
説明責任が軽い場合は考えられるでしょう。
しかし、全く新規な技術の開発・普及などに際しては、
科学者が有効な説明をせざるを得ないでしょう。
これは、「押し付けられる」ものではなく、
もともと科学者が大なり小なり「負っている」責任であると考えます。

そして、「ただ、rugasさんのいう人類の幸せの総和拡大を
実現するには感覚的な批判よりも、技術としては何が欠点となりうるのか、
また何が有益なのかを提示することがまず必要だと思います」
とのことですが、「幸せの総和拡大を実現」するのに
「何が嫌がられるのか」を提示し(というよりも踏まえ)て置くことも
同様に必要ではないですか?

RTKさんの使った「まず」というのが単に順番の問題で、
最終的には感覚的な批判も踏まえて科学研究・技術開発を行う、
というのであればそれでいいと思いますが。


仲田 2003.03.25 Tue 18:11:14

1.について、
感情的反発がなくなるかどうかは、科学者側の努力しだい。
ただ、なくならないまでも減らすことは出来るという議論は
どこかでありませんでしたか? 努力の手段としては、
「言い方」や「周知期間」もあるでしょう。
「言い方」は小手先という割りになってないのが現状ですね。
「周知期間」も「技術の急速な発展」のためか全然不足してますね。
それは是正すべきでは? さらに、もし「一般市民」のほとんど
(一部だからといって無視していいとは言いません)が
「議論しても納得できないものはできない、と主張するケース」では、
「感情的反発」のみが理由であったとしても、
技術開発が抑えられる必要があると思います。
もっとも、この場合は放っておいてもそうなるでしょうね

クローン人間に対する感情的な反発については、
マスコミ報道などから伝わってくる「警戒感」「不安感」などが
わかりやすい例です。後は、「大勢のヒトラーを作られると怖い」とか、
感情的であると同時に説得の余地のある反発も多いですね。
これらについて議論する方法、意義としては、これらの反発が
説得可能なものであるかどうか、どの程度社会的な発言力を持つか、
を整理し(ここまでは現状でも行われていると思います)、
説得可能なものについてはマスコミなどを通じて説得(説明)をする、
そうでないものに関してはそれこそ「小手先」の対策を考える。
など、いろいろありますね。

もっとも、どこから誤解が生じたのかがわからないんですが、
「感情的意見」を議論すべし、というよりは、知っておくこと、
明示しておくこと、が求められると言いたかったんですがね。
それを踏まえた(心構えで)研究が行われればいいと思います。

2.異なりますね。仲田の意図では「「論証可能な」問題」との表記が
正しいです。okさんは何を指摘したかったんですか?

3.「倫理」は効能があるから守るのではなく、
「守るべき」との「感情」を土台にして生まれてくるものと考えます。
ですから、「倫理の境界線を守ることで得られる効能を教えてください」には
答える必要も意味もないと思います。
ただ、「なぜ「止める」必要があるのでしょう?」に答える形で
フォローしておくと、感情的反発を押し切って技術開発を続けることは、
科学者に対する不信感を招くことになる可能性は大いにあると思います。
それだけではないでしょうが、例えば、この「不信感」を生まないために、
「止める」必要を唱えることは出来ます。

当然ながら「倫理の境界線が引かれる位置に絶対的な理由が存在する」
とは思っていません。だからといって、最も「倫理」を軽視する人の意見が
通るような仕組みが正当化されるわけではありません。

「「議論」しても倫理の境界線が感情的に納得できる形で引くことが
出来るとは思えません」とのご意見にも、基本的には同意します。
だからといって「倫理」の議論が無意味になるわけではありません。
仲田も、「全員が完全に納得できる」倫理を訴えているわけではなく、
それを「目指した結果として現れてくる」暫定的な倫理が
必要だと思っているに過ぎません。

4.本名を出している人間に対して、匿名の人間が
「前半の議論はかなり変で、問題点だらけだと思います」
ということは誹謗中傷としか思えず、非常に不愉快です。
この発言を撤回するか、少なくとも「問題点だらけ」というだけの
量の問題点を指摘してから今後の議論を続けて下さい
(高々一点の、それもokさんの読み違いに基づく問題点では納得できません)。
それがない限り、管理人さんにokさんの発言の削除を依頼します。

さて、少し冷静になって、
「科学者に「いいくるめられる」なら良いんじゃないですか?」
という点について返答しておきましょう。
ここで用いた「いいくるめ」という表現には、
「話し手の主張を、欠陥があるが、直接(即座に)反論することの
難しい(思いつきにくい)論法によって、反論させない」という
意味が込められています(別に変わった用法とは思えませんが?)。
ですから、決して説得にはなっていませんし
(仲田は言質をとることを説得とはみなしません)、
感情的反発をなくせるはずもありません。

5.規制する必要があるという主張を、
「規制したい」と読み替える行為には悪意すら感じます。
okさんの書き込みによって、仲田の主張が単なる感情論と
誤解されるとしたら残念です。
「規制したいから」上記のような主張をしたわけではありません。
科学者が社会の中で研究・開発を行っていく、
という状態を考えたときには、必然的にある程度の倫理的要求を受ける、
と論証してきたつもりです。そもそも「倫理」と「規制」が
どこで結び付けられたのかが思いつかないんですが。
まあ、「倫理」に実効性を持たせるために規制
(明文化されない自主規制も含む)が必要になってくることもあるでしょうけど。


柿原 2003.03.25 Tue 19:33:15

どうも仲田さんはウェブ上で人格交代する人みたいですね。
私もその気がありますがここまで変化するのかな?

okさんの
4.
> 前半の議論はかなり変で、問題点だらけだと思います。
> まず、科学者に「いいくるめられる」なら良いんじゃないですか?
> 感情的反発を無くしたいという観点で考えるなら。
> 何か他の理由があるのですか?

に関連して仲田さんの議論の問題点と思しきものを指摘します。

> 「仲田としては、「市民」にとっては「動物様」の人造生物のみが
> 問題になりやすいことは承知しているつもりです。
> しかし、科学者(特に生物学者)には、「動物様」生物と
> それ以外の生物の違いを大きな違いと認めない人が多くいます。
> この捉え方のギャップが孕む意義とリスクを正しく理解できれば、
> 例え「市民」の関心が「動物様」人造生命のみに行っていても、
> 科学者間では人造細菌すら問題にしなければならない(と仲田が思っている)
> 『論拠』が理解してもらえると思います」

そもそも、生物学者でない人の感覚的な批判の対象について話をしていたのに、
いつのまにか対象が拡大していませんか?「動物様」の人造生物が
問題になりやすく、非「動物様」の人造生物は生物学者でない人には
問題でないのならば、どうしてそれを科学者間で問題にすることが
求められるのでしょうか?

結局、RTKさんの

> 「分子生物学の理論と応用への感覚的な反発」が焦点となっていますが、
> 科学的な観点から、ある応用が生物学的に問題があるかどうか
> の議論こそが重要であると考えます。

という、生態学的な問題点などを考慮すればいいだけだと思います。

敢えて感覚的な批判を回避したければ、科学的な根拠に基づいた
カムフラージュを施せばいいのではないでしょうか?
医療現場での治療の説明のテクニックを転用すれば
仲田さんの危惧するクローン規制の二の舞は回避できると思います。
あとはマスコミにコネクションを持つことでしょうね。


仲田 2003.03.27 Thu 11:29:36

>どうも仲田さんはウェブ上で人格交代する人みたいですね。
ウェブ上に限らず、本音で話してるときはこれ位しゃべりますよ。
(訂正:もっと暴言吐きます)

「非「動物様」の人造生物は生物学者でない人には
問題でないのならば、どうしてそれを科学者間で問題にすることが
求められるのでしょうか?」
とのことですが、その説明に悪戦苦闘しているんです。
何と書けば言いたいことが通じるのか、難しいんですが。
一言で言えば、「市民」が気づかないうちに対処するのが専門家の義務、
といったらいいんでしょうか。本当に大多数の
「市民」が反感を覚える「動物様人工生物」が開発される頃には、
有無を言わせない雰囲気がトップダウン式に与えられることに
なってしまうのではないか、というのが最大の懸念です。
okさんや柿原さんは、科学技術者としては
「有無を言わせなければ良い」と思っていらっしゃるように聞こえました。

確かに、そのときはそれでいいかもしれません。
しかし、その結果として科学者に対する、
そして科学技術全般に対する不信感、反感が生まれてくることが問題です。
もし、柿原さんの仰る「カモフラージュ」が
長期的にも科学者・科学技術に対する信頼感を確立できるものであれば、
それでいいと思います。


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